September 19, 2005

中秋の名月

fullmoon

犬の散歩をしていると、すばらしい満月が頭上に輝いていた。そういえば、今日は「中秋の名月」である。家に帰ってカメラを取り出し、持っている中で一番望遠のレンズ(300mm)で寄ってみるが、これが限界であった。

その後Webを徘徊していると、どうも「中秋の名月」というのと、「仲秋の名月」という表記の2つが散見される。ニュースなどのメディアでは「中秋」で統一されているため、正しくはこちらなのであろう。しかし、うちのMacの変換候補でも「仲秋」は出てくる。気になったので調べてみたところ、明確に意味は違うようだ。

【中秋】
陰暦で秋の三か月(約九十日)の真ん中、つまり陰暦八月十五日のこと。

【仲秋】
陰暦で秋を七月・八月・九月の三か月としたうちの、真ん中(八月)の一か月のこと。

今日の満月を表すならば、中秋が正解のようである。

パソコンの漢字変換に慣れると本来の意味がよくわからなくなったり、とんでもない誤変換をしたりすることがある。ちなみに、今年の『変換ミス年間賞』(漢検)は、

「今年から貝が胃に棲み始めました(正しくは、今年から海外に住み始めました)」

念願だった海外移住を実現させた魚介類好きの友人からのメール、だったそうだ。

メールを出すときには、気をつけないとね。。。

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December 14, 2004

「いき」であること

わが社は今まさに、期末である。これは3ヶ月に1度必ずやってくるものなれど、誰しもが余裕なくピリピリしている様子は滑稽ですらある。これに加えて、土日に実家に帰らなくてはいけないときは、すでに休日という概念がどこか向こうの世界に行ってしまったように思える。

とか言っちゃってますが、つまるところ「忙しすぎて blog なんて更新できねーよ」と、いう意味です。。。ごめんなさい。

閑話休題。

土曜日は父の四十九日法要で、金曜日の夜から実家に帰る。突然のできごとから、はや一月半。にわかには信じられない心持ちであったが、ようやく現実として理解するようになってきた。とにもかくにも、そのあたりに漂っていた魂は「仏様」になってしまったわけで、そういう意味では「ホッとした」という感覚が大きい。
日曜日は昼まで畑仕事をした後に常磐道をぶっ飛ばし、【ブラックスーツ+ブラックタイ】を【タキシード+蝶ネクタイ】に換装してから、友人の結婚披露宴にいく。時間がギリギリだったため不安で一杯であったが、職安通りを安定したニワトリ歩きで急いだ甲斐あって、開始1分前に現地に到着する。

新郎・新婦ともに同僚。これまで仲良くしてもらっていたため、いろいろと感慨深いものがある。この気持ちを当人に伝えるのは難しいので、せめて写真を撮ってアルバムをプレゼントすることで表現することにした。会場のカメラマンと場所争いを繰り広げつつも、そこそこ満足のいくものが撮れたので気分は上々であった。

このように10月から「運命」に基ずく出来事が相次いだため、最近はこのことについて思慮をすることが多い。「運命」と言っても、タイプとしては大きく2つに別れる。その一つが、恋愛→結婚のように強烈な行動イメージを礎とした「思う力」の波紋により引き起こされるものであり、もう一つが人の死というように自分の意志とは無関係に引き起こされるアクシデントの結果によるものである。

これまでの自分の人生はこの両方が交互に起こり、そしてそのそれぞれが強烈な影響をわたしに与えているのであるのだが、そのようなシチュエーションの中で自分がどうあるべきかという確固たるイメージ、それは一貫して「いき(粋)である」ことだ。

日本の近代哲学の中でも再評価の気運高い「九鬼周造」(1888‐1941)氏の名著・『「いき」の構造 他二篇』(岩波文庫)によると、この言葉は次のように定義されている。

「運命によって“諦め”を得た“媚態”が“意気地”の自由に生きるのが“いき”である」

古来の仏教観(苦界)から得られた"諦め" 、世知辛い、つれない浮き世にあって、洗練を経て垢抜けした心。単に媚びへつらうだけではなく、他者を自己に取り込んだ形での"媚態"(色っぽさ)。そして、「武士は食わねど高楊枝」とも言えるやせがまんを伴う理想主義である"意気地"(張り)。つまり、理想性と非現実性とによって自己の存在を実現するという二元的可能性をもった、肯定と否定の狭間。これらは永遠に交わることはなく、緊張感をもって持続するものである。

これらをすべて受け入れ、その緊張と持続を続けることが、色っぽさを具現するということではないか。今年はいろいろなことが起こったが、凛として粋であり続けよう。

最後に、九鬼による「いき」の総括を引用しておく。

「いき」は武士道の理想主義と仏教の非現実性とに対して不離の内的関係に立っている。運命によって「諦め」お得た「媚態」が「意気地」の自由に生きるのが「いき」である。人間の運命に対して曇らざる眼をもち、魂の自由に向かって悩ましい憧憬を懐く民族ならずしては「媚態」をして「いき」の様態を取らしむることは出来ない。「いき」の核心的意味は、その構造がわが民族的存在の自己開示として把握されたときに、十全なる会得と理解とを得たのである

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November 29, 2004

あぶっちゃうヨ。

今日の出勤して仕事を始めようかと思ったら、友人からメッセンジャーが飛んできた。

なんと、あの香ばしくも狡猾なマーケティング戦略で一世を風靡している「堀江社長」のブロマイドが発売されるらしい。

これはこれでびっくりしたのだが、ふとこのページを見ていると「びんちょうタン」という見慣れない単語を左カラムに発見した。ん? なんだ、これは?

はてな・びんちょうタン」より

ゲーム関連グッズショップ兼ソフトハウス「アルケミスト」のマスコットキャラクター。和歌山県の南部川村森林組合(04/10/1よりみなべ町森林組合)のマスコットキャラクターに採用されることが決定している.10/1に縦180cm×横90cmの看板が町内二箇所に設置されるとのこと.

いわゆる「萌えキャラ」の一種なのか。なんとも深い世界である。

ツッコミどころが満載でどこから手をつけるべきか迷ってしまうのだが、まず「頭に乗っている備長炭」がツボにきた。だって、遠赤外線をまき散らさんとして赤々と「燃えて」いるのだ。ちょっと、やけどするって! しかも、ロゴ近くにあるサブタイトルでこれまた腹が痛くなる。

「あぶっちゃうョ!」

そっかぁ、あぶっちゃうのか。うん、うん。。。まぁ、そもそもが炭だしな(遠い目)。

しかし、一体これのどこに萌えるのか!? 本気でファンの方には論理的にかつ簡潔にご説明願いたい気持ちで一杯なのだが、ヒトの趣味というのは当人にしかわかり得ないことだらけなので深くは突っ込まないことにしよう。

ところで、「萌え」の語源というのは「恐竜惑星のヒロイン・鷺沢萌」(NHK教育・天才テレビくん)で確定しているものだと思っていたのだが、どうやら諸説が飛び交っているようである。このあたりは「同人用語の基礎知識」に詳しいが、これ以上わたしのblogがそっち方面で埋まるのは不本意なので、このあたりでやめにしておこう。

それにしても人間って、業が深い。

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November 26, 2004

日本語と助詞

なんとなく固そうなタイトルだが、別に難しい話ではない。
今日は助詞について考えることが多かったので、久々に「言霊」カテゴリとして書いてみる。

朝いちから、昨日片付けたと思っていた仕事に出戻りが発生。勘違いにより原稿を読み間違えていたらしく、修正を依頼される。例えるならば、以下のような勘違いである。

(1) ガテンでアルバイト情報を探そう!
(2) ガテンのアルバイト情報を探そう!

(1)の場合は「ガテン」という情報ソースまたは手段により探そうとしているが、(2)の場合はピンポイントに「ガテン」の中にあるものを探していることになるだろう。たった助詞一文字ではあるが、(1)は必ずしも「ガテン」である必要はない訳で、単にオススメされているにすぎない。一方(2)になると、「おれは肉体労働しかしないんだよ。VIVA、3K!!」と、いうニュアンスが感じ取れる(今回はプロモーションなので、2が正解だった)。

もっとわかりやすい例をあげてみよう。

(1) 彼女が水着に着替えたら
(2) 彼女の水着に着替えたら

昔懐かしい映画のタイトルを題材に。(1)は「うーん、どうなんだろう。ワクワク。」というある種の「中学生日記」的青臭さすら感じるが、(2)にいたっては単なる「変態」である。このように、日本語にとって助詞というのは大変重要な役割をもっていることがわかる。

次は助詞というより「コトバの順序」、つまり「何がどれにかかっているか」という形容詞の問題。

学生時代に友人と論争になったことがあるのだが、それは以下のような商品名の話であった。

(1) イチゴつぶつぶポッキー
(2) つぶつぶイチゴポッキー

わたしは断然(2)なのだが、友人は(1)が自然であると言って譲らない。語感とつぶつぶ感が(1)の方がイイ!と言い張るのだ。わたしはコトバをリアルに想像するタイプなので、上記の2つを物質として形容してみる。

(1) イチゴ / つぶつぶポッキー → イチゴ(味の) / つぶつぶポッキー
(2) つぶつぶ / イチゴポッキー → つぶつぶ(した|状態の) / イチゴポッキー

(1)に関してはすでに何かがおかしい。もっと単語に分けたとしても、「イチゴ/つぶつぶ」。もはや「かえる/ぴょこぴょこ」と同列である。

そもそも「つぶつぶポッキー」という物質が気持ち悪い。例えるならば、なんだかわからないけど突起物がついて「つぶつぶ」しちゃってる「プリッツ」状のものに、イチゴチョコがコーティングされているようなお菓子。少なくとも、わたしは食べたくはない。それよりかは「イチゴポッキー」(これはすでに発売されていたし)に「つぶつぶした果肉」が入っていそうな(2)が良いと思うのだ。

このような順番の問題というのは他にも沢山あるだろう。ちょうど『通販生活』の巻末にある読者投稿コーナー(SPA!で言えば、バカサイ。もしくは週刊ジャンプ放送局のようなもの。)を見ていたら、同じようなネタが載っていた。あまりにも味わい深かったために、ここで紹介する。


賞品の発送は当選者の発表をもってかえさせていただきます。


だれか、どこかのキャンペーンページでこっそり出してくれないかなぁ。。。(法務チェックもスルーできるか!?)

※ ここまで控えめに賞品を用意してないことを宣言できる文章はめったにないぞ。出戻りの罰として、レッツ・チャレンジ! > ナイスチョイス氏

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September 16, 2004

コケティッシュ

これまでも「コトバ」に関するネタをいくつかやってきたのだが、この度「言霊」カテゴリとして独立することとなった。サラリーマンで言えば「ヒラ → 主任」くらい、恋愛で言えば「いい人 → ちょっとドキドキラブメール」くらいの昇格だと思っていただいて差し支えはない。つまりは、本人には大問題だが、ハタから見れば無問題(モーマンタイ)というレベルである。

今日ひさびさに「コケティッシュ」という単語を聞いたので、本日のお題はこれでいこうと思う。

ごくまれにグラビアやその他男性誌で見かける、このコトバ。わたしはなぜか「キッチュ」を連想してしまうのだが、「アンニュイ」と同様いまいちピンとこない。せいぜい、女性に対して使われるのだろうな、程度の感覚である。こういうときは、迷うことなく「新明解国語辞典」をひくのが、吉。

コケティッシュ 【coquettish】
色っぽい様子。「ーな表情・ーにふるまう」
(新明解国語辞典・第4版)

おい、そんだけかい。ぶっちゃけ、やる気ないだろ。それとも、外来語は苦手なのか、新明解。まったく、おまえにはがっかりだよ。。。しかしながら、大辞泉をひいてみてもそんな感じなので名詞である「コケット」でひいてみる。

コケット 【(フランス)coquette】
[名・形動]男好きのするなまめかしい女性。色っぽい女。また、そのさま。「―なしぐさ」
「ドイツ士官が若い―と腕を組んで」〈寅彦・旅日記から〉
(大辞泉)

「男好きのする」という、新しい形容が現れた。(寺田)寅彦・旅日記は、これまた新しい発見ではあるのだが、彼の随筆は残念ながら趣味ではないため、バッサリ割愛させてもらう。

どうもこの形容からして、あまり良い意味では使われないイメージだ。「男好きのする女」、はたまた「女好きのする男」。良いような、悪いような微妙な感じである。きっと、田島陽子なら犬歯を磨きながら噛み付いてきそうな単語ではある。

おとこ‐ずき 〔をとこ‐〕【男好き】
(1) 女の容姿・気質などが男の好みに合うこと。「―のする顔」
(2) 女が、男との情事を好むこと。また、そのような女。
(大辞泉)

「情事を好むこと」は、それこそ個人の自由なのでイメージ的にはどちらでもない。この世の中に「貞操観念」というものが発芽玄米の「芽」ほどでも存在するのだとすれば、きっと悪いイメージだろう。さて、男女の話になってくると俄然本気を出し始めるのが、新明解。名誉挽回のチャンス!

おとこ-ずき 【ー好き】
(1) 男性の好みに合うこと。「ーのする女」
(2) 女性が、絶えず男性のだれかと交渉を持っていなければ気の済まないこと。多情。
(新明解国語辞典・第4版)

1はともかく、2がさすが。期待を裏切らない。「情事」なんて回りくどいことはナシで、辞書として明らかに不要な文言のオンパレード。トレビアン♪ こうくると、反対語も調査しなければいけない。たとえ世界の中心で愛を叫んでいるドクター中松が目の前でジャンピングしていようが、この勢いは止められないだろう。

おんな-ずき 【ー好き】
(1) 絶えず女性との交渉が無ければ生きがいを感じない性質(の男性)。
(2) 女性から好きこのまれるタイプであること。

さっきは(2)だったものが、(1)になってしまった。。。しかも微妙に文言違うし。もう「気が済まない」どころではなく、「生きがいを感じない」というほどにシリアスな話になってしまったようだ。

本日のまとめ:
合コンなどでインテリ気取って「君にはコケティッシュな魅力があるね」、などと口走ることなかれ。それは、「そろそろ気が済まない感じ? どう? どうなのよ?」と、迫っているに等しいことである。

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August 31, 2004

アンニュイとフェミニン

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ランチ途中で出会ったネコ

 台風も過ぎ去り天気がよくなったので、昔(中学時代)から愛用している「SMC PENTAX-A 50mm/F1.4」を*istDにつけて出社する。

 途中で何枚か撮ってみたが、デジカメにつけると1.5倍換算になることに体がついていかない。一度ファインダーを覗いた後に、「??」となり一歩後ずさる。という行動を毎回繰り返すことになった。慣れというのは恐いもので、頭では理解しているつもりでも、脊椎反射的に「いつもの行動」に出てしまうようだ。たまに国産車に乗ると、思わずワイパー全開で交差点を曲がってしまうのと一緒の部類である。

 ランチの途中で出会ったネコは、まだ子猫のようだが非常にアンニュイな雰囲気がカワイイ。見た瞬間に「あー、アンニュイだなぁ」と思ったのだが、この言葉のそもそもの意味は以下である。

アンニュイ 【(フランス)ennui】
[名・形動]ものうい感じであること。また、そのさま。倦怠(けんたい)。「―な午後」
【大辞泉】

女性誌などではこれと共に「フェミニン」という単語も登場することが多い気がする。「この秋はフェミニン&シックで恋愛力アップ! アンニュイなクラシック・スタイルで、アーバンな大人の女に!」とか。そういう雑誌に登場するくらいなので、ある意味「オンナのあこがれ」を体現している言葉なのだろう。
一方、オトコの視点で見れば、「フェミニン → 儚げ、優しさ、甘さ」や「アンニュイ → 知的、ミステリアス、湿り気」という印象なのだから、やはり「グッとくる要素」がそこにはあるのだろう(どちらに重きを置くかは人それぞれだろうが)。

特に「アンニュイさ」というのはそれ単体では性を表さないが、圧倒的に女性を想起させる。軽いため息まで聞こえてきそうなほど、物憂い感じでカフェに佇む女性は、それだけで絵になりそうである。しかし、オトコが同じことをしても「あー、おとーさん仕事でお疲れね」くらいにしか受け取ってもらえない(きっと)。
ここには非常にわかりやすい「オトコの幻想」が働いているのだろう。「物思い → オトコのことを思っているのだろう → それがもしオレだったらなぁ... → そういえば昔の彼女どうしてるのかなぁ → ノスタルジーの頂へ」という具合である。彼女にしてみれば、その実「低血圧はツライわぁ」なのかもしれないし、「このあとケーキを食べるべきか、食べざるべきか」なのかもしれない。

「オトコはロマンチスト、オンナはリアリスト」とはよく言ったものだが、ノスタルジーと成功体験をほどよくブレンドしてポジティブな妄想へと昇華させる鮮やかな手法は、強烈にリアルなものを前にしてフリーズすることしかできないオトコの、先天的な防衛本能なのかもしれない。

もし街角で圧倒的にアンニュイなオトコを見かけたら、その裏にある要素が何なのかを想像してみよう。

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June 07, 2004

身の丈サイズ


Copyright (C) 2004 e-Shopping! Books CORP.

今日は「計量記念日」。計量法が制定されたことにより、古来の尺貫法が正式になくなった日でもある。とはいえ、現代においても「1升」などは使われているので、まだまだおなじみのもの。
この単位「1升」はお米を両手ですくった量で、「1石」は一年に一人の大人が食べる米の量。その米が取れる田んぼの広さが「1反」。昔の日本の単位は、こんな風に「身の丈」に合わせたサイズで物事を測っていた。

時間の単位も同様。「一刻を争う」と言えばもう抜き差しならない緊急事態な気がするが、江戸時代の時刻制度で言えばなんと「14分24秒」。もう大急ぎでもこれくらいなので、非常にゆったりまったりな生活だったのだろう。
仕組みは、明け前と夕暮れ時を基準にして、昼を6等分・夜を6等分する。この等分されたものを「一ツ」として数え、なぜか九ツから始まり四ツまでいき、その後急に九ツに戻るのくりかえしというもの(現代に残っている「おやつ」という言葉は、この「八ツ」が語源)。当然のことながら、夏と冬では一ツの長さが変わるので、冬の労働時間はすごく短くなる。いわば、究極のサマータイム。複雑なようでいて、電灯のない時代においては非常にわかりやすく合理的だったと思う。

今日のニュースで待って25分待たせて17分 セイコー時の記念日調査(Yahoo!ニュース・共同通信)というのがあったが、江戸時代で言えば17分待たせたところでしょせん「一刻」。遅刻の言い訳に使えそうね・・・(ダメ?)

最近は「ドッグ・イヤー」とか「秒刻みのスケジュール」がイケてると思っている人も多そうだが、本当に身の丈に合っているのかはちゃんと考えた方がよさそう。反面、そこかしこで「スローライフ」とか「スローでいこう」とかいう言葉を聞くが、これはこれで微妙・・・(快楽生活の追求という点だけは、同意)。単に日本におけるこのコトバの仕掛け方とメディアの問題かもしれないけどね。

※ 今日のような話は、ニッポンのサイズ(石川英輔/著)に詳しい。

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May 14, 2004

三日坊主

新明解国語辞典
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あやうく、三日坊主を地でいくところだった。。。(更新忘れちゃった)
と思ったところで、ふと疑問。

みっか‐ぼうず 〔‐バウズ〕【三日坊主】 物事に飽きやすく、長続きしないこと。また、その人。「日記付けも―に終わる」 (大辞泉・小学館)
意味はわかるとして、なぜに「坊主」?? ちょっと調べてみると、こういうことらしい。
  僧の修業というのは朝早くからのお勤めにはじまり,規則正しい生活を送らねばならず,また食事も粗食です。つい,衝動的に頭を丸めて坊主を志した人でもその実態に触れると並大抵の心構えではとても長続きしません。こういう人は三日も立たないうちにねをあげて俗界にもどってしまうのが常です。こうしたことから「三日坊主」という言葉が生まれました。 (日本語探検隊編「言葉の不思議なぜナゾ事典②」KKベストセラーズ,1992)
うん。blogを続けることも修行ということにしておこう。。。

実は、辞書をひくのは昔から趣味のようなもので、そのきっかけとなったのが偉大なる「新明解国語辞典・三省堂」!わたしは第4版をずっと愛用している。新明解の面白さはそのおせっかいさと独自の切り口。例えばこんな感じ。

  れんあい【恋愛】   特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、出来るなら合体したいという気持ちを持ちながら、それが、常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる・(まれにかなえられて歓喜する)状態 (第4版)
合体って。。。「まれにかなえられて」も余計なお世話。山田主幹の経験に基づくのでしょう、きっと。このような主観が入りまじっている辞書は、これだけでしょう。さらにここから「合体」を調べていって・・・とやってると数時間は楽しめること請け合い。

もっと知りたい方は「新明解国語辞典を読む」へ、どうぞ!

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